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回復期病棟雑感 4

4 公私の格差

 タイトルを見て「また学校の話か?」と思った人も多いだろうが、「公私」といっても「病院」の話である。公立と私立の病院の格差…患者、要するに一般市民にとっての違いの話である。
 公立の病院、特に市民病院のような我々に身近な総合病院は、経営をスリム化せよとの政府からの課題を前に奮闘中だ。

 自助、共助、公助なんて総理大臣の言葉で、国に頼る前に自分でなんとかしろという政府の態度があからさまになってきたが、実はこの方針は菅総理のオリジナルではなく、昔からある自民党の発想である。
 前政権の時に始まった公立病院や保健所の統廃合、規模の縮小は、コロナ禍で勢いを削がれたかのようで、実は粛々と進行中である。福祉目的が増税の口実である消費税を財源にしていることも全く変わっていない。
 頑張って公共の医療サービスを縮小すれば、消費税を財源にしたご褒美をあげましょう…というヤツである。

 そんな訳で、今、公立病院は経費削減の真っ最中。コロナの感染者を自宅待機させてまで、公立病院の病床削減計画は止まらない。病床だけではなく、人員の削減も止まらない。自分の入院した市民病院も、骨密度を計測する立派な装置が配備されているにもかかわらず、それを操作する技師が不在だという。
 自分は骨盤を骨折したので、大腿骨の骨密度を測って、術後何日までは加重を何Kgまで…と目安を示してくれれば、リハビリの経過も立てやすいのだが、その作業がままならない。

 リハビリの人員も当然不足している。自分は骨折だから、形成外科的な機能回復のプログラムだが、他にも脳の障害や高齢者の痴呆などの記憶障害緒もリハビリの対象である。意外と身近な医療なのだ。
 リハビリは外傷などの外見的な回復とは異なり、基本的な機能の回復を目指す。なので、日常的で継続した訓練が欠かせない。市民病院では人員が不足しているため、リハビリは土曜と日曜にはお休みなのだ。
 すると、せっかく毎日続けてきた機能回復の訓練が、土日を挟むと週明けには食う連の成果が目立たない状態に戻ってしまったりする。僕の場合、右膝の関節が固くなっていて、それを少しずつほぐしてようやく曲がるようになったのだが、土日の休みを挟んで、月曜には思ったほど曲がらなくなっていた…という繰り返しがあった。
 それでも、平行棒を頼りに伝い歩きできるところまで進んだのだが、土日を挟むとまた振り出し近くに逆戻りと、なんだか時間を浪費しているような感じ。

 病院の経費削減では、食事もやり玉に挙げられる。病人、特に内蔵の病気などでは、術後に栄養を取らなければならない。それを経費削減って、どういうことだ?!となるでしょ? そこは病院、栄養価はちゃんと計算されているのだが、調理のバリエーションに乏しく、塩分を神経質なほどに抑えた、実においしくない食事になっている。
 厨房の人たちは、限られた予算内で質と量と味覚を納得できるものにしようと、一生懸命なのだと思う。
 月に一回程度、入院患者への病院食に対するアンケートを実施している。しかし古い町で、高齢者が多いため、どうしても「古き良き日本の食事」になってしまう。若者向けのパスタとかハンバーグなどは選択肢になく、みそ和え、それも塩路をとことん抑えたのとか、朝はたまにパンも出るが、食パンにイチゴジャムが関の山。
 あー、ハンバーガー食いたい…ってなるよな。

 塩分を控えた食事に飽きた頃、転院が決まった。術後一定期間経過すると、、リハビリ専門の病院へ転院することになっているらしい。市民病院のキャパシティの問題もあるだろう。それに、公立の市民病院で同じ患者を長く見ていると効率が悪い。私立のリハビリ専門病院に面倒を見させれば、まさに自助、税金で病人を養わなくて済む…という算段なのだろう。
 まあ、こちらとしては「食事が旨くなるかも!」と、私立のリハビリ病院にほのかな期待を寄せるのだった。

# by FunatobeRei | 2021-08-30 16:24 | 身辺雑記 | Comments(0)

回復期病棟雑感 3

3 集団の「色」

 病室のような空間でも、イニシアティブを採る個性的な人がいると、その集団の「色」、傾向のようなものが生じる。この一件で連想したのが、毎年春になると先生方の話題に上る「今年の1年生はまじめだな」とか「×組は活発な生徒が多いな」などの、生徒たちの「色」である。
 病室は4人だったが、学年やクラスとなると人数が多い分、「色」も様々。子供の無個性化が気になる昨今でも、子供というのは実に個性的。先生方の声を聞くと、そんな気がしてくる。
 しかし、本当にそうだろうか?

 話題を振っておきながら、振った本人が否定すのは気が引けるが、決して一面的に否定しているわけではない。なにも、今の子供はやはり個性がないとか、そういうことを言いたいのではないのだ。
 クラスや学年のリーダー的な生徒がいて、その生徒が学年やクラスの色…全体的な個性を決めて、少数の人間が集団の性質を決定づけているという考えに、ひねくれ者の僕としては「?」なのだ。
 確かに、個性的な生徒や意見をはっきり主張する生徒に、クラスや学年の考えが引っ張られていくことはある。が、それだけで「色」…集団の基本的な傾向が決まってしまうほど、子供たちは単純ではない。いや、子供だけではなく、大学生や新入社員など、すでに子供時代が終わりつつある、または終わってしまった人たちにも、同じことが言えると思うのだ。

 クラスや学年の「色」というが、実は子供たちに「色を見ている」のは先生や周囲の大人たちであり、その色を前提に指導や教育をしているのも、他ならぬ先生方なのである。
 ずっと昔、こんな話を聞いたことがある。占いにも科学的根拠が必要だと考えた占い師が、幼児とその母親をペアにして2組に分け、一方の親には「この子はまじめなよい人間になる」と、もう一方の親には「この子はロクな人間にならない」と、それぞれ占い師が告げ、子供が成長してからどうなったか調べる…という壮大な実験を行ってはどうかと考えた。
 そのことを心理学者に相談すると、すぐに返事が返ってきた。「占いは絶対に当たるから、やるだけ無駄ですよ」…心理学者は暗示の効果によって占いは当たると言い、それは占いの効果ではないというのだ。
 暗示をかければその通りに行動してしまう。だから実験などするだけ無駄ということだ。これは心理学ですでに実証済みのことである。親に暗示をかければ、その暗示に従うように子供を育ててしまうのは当たり前のことなのだいう。

 クラスや学年に属する生徒たちも、「このクラスは明るい子供ばかり」「この学年はしっかりした子が多い」といった《先生の側の見立て、あるいは希望》に従い、「僕たちは明るい子供なんだから」などと先生の側が立てた「見立て」に無意識のうちに従ってしまうのではないか…と、まあそんなことを考えたのだ。
 先ほど子供だけではなく大人も、と書いた。我々も知らないうちに「今の国民は文句も言わずに働いて税金を納めるよい国民だ」と、無意識のうちに誰かが望んだとおりの大人を目指していないだろうか。



# by FunatobeRei | 2021-08-30 16:19 | 身辺雑記 | Comments(0)

回復期病棟雑感 2

2 世間病棟模様

 自分の入院した病院は、規模の大きな総合病院だった。泌尿器科に耳鼻咽喉科から外科、内科に至るまで、地域の病人、けが人を一手に面倒見るほどの大病院…といっても、田舎の農村部にある市民病院なんだが。
 とは言え、それなりの大病院である。大きな建物に多数の病室を抱えている。自分がお世話になったのは形成外科。手術前に入ることになった外科病棟の4人部屋は、いわゆるフツーの病室とは雰囲気がちょいと違った。
 あちこちの病院を旅してまわったわけではないので、スタンダードな病院の標準的な姿を知っているわけではない。ただ、多くの病室が陰鬱なイメージだということは推測に難くない。

 入院しているのは、みな病人かけが人である。未来の喜びに満ち満ちているのは、出産を控えたお母さん予備軍でいっぱいの、産婦人科の病室くらいのものだろう。
 僕が入ったのは、西病棟の中央付近。各病室は長いカーテンで仕切られ、カーテンはぴたりと閉じている。中に人がいるのかすらわからない。そりゃそうだ、開いたカーテンから患者が顔を覗かせ、にっこり挨拶するような病院、確かにそんな病院があれば楽しいだろうが、「らしくない」ではないか。
 で、病室に入ったときには自分は既に仰向けの状態だったので、周囲に愛想を振りまくこともできなかった。普通の病室のありきたりな入院患者らしく、無口で無愛想にしていた。ところが、この病室はちょっと雰囲気が違うぞと思ったのだ、

 病室に入ると、隣のベッドのカーテンがシャーッと開き、隙間からおじさんが顔を出した。まるで故・志村けんさんのコントみたいな登場の仕方だが、本当だから仕方がない。
 「私はXX炎で入院してるんですが、明日退院なんですよ」退院が近くて、声をかけたくなったのだろう。せっかくだからこちらの状況を手短に説明。
 「よかったですねぇ、私は大腿骨の骨折で、まだ手術の予定が立ってないんですよ」
 「それは大変ですね。で、お隣の△△さんは〇〇の病気で…」
 自己崩壊を済ませると、他己紹介を始めちゃったよ。自分の退院を知らせたいというより、一通り病室のメンバーを紹介したいようだ。こうして患者たちは何となく打ち解け、おじさんたちは世間話モードへ。
 翌日、隣のベッドのおじさんが退院する日には、「お世話になりました、ありがとう」とあいさつし、残る我々は「おめでとうございます」「よかったですね」とはなむけの言葉。そしてパチパチと拍手。
 ちょっと待ってよ、ここ、病室でしょ?

 手術が終わった後は、東病棟の奥、手術前とは違う病室に移動した。ここでは、誰もカーテンから顔を出したりしない。実にみなさん他人である。前の病室に馴染んでしまったが、こちらの陰気な雰囲気が正しい病室なのである。
 お互いの病名はもちろん、名前も年齢も不明。そもそも顔を合わせたことすらない。声を聞いたことのない人もいる。
 そんな中、やたらと声を聞いたのが向かいのベッドのおじいさん。偏見を恐れずに言うと、耳の遠くなったおじいさんはおしなべて声がでかい。
 僕はパソコンの音声を聞くため、ヘッドフォンを端子に接続し、音声を流した。と、ヘッドフォンの外(要するに現実の病室)から何か声が聞こえる。ヘッドフォンを外すと、向かいのベッドから怒鳴り声が。
 「うるさいっ!」かなりお怒りのようだ。ひょっとして僕のパソコンから音漏れ?
 「すみません」反射的に謝ったが、そんなはずはない。だって、ヘッドフォンを外した自分の耳には、そのおじいさんの怒鳴り声以外、何の音も聞こえないのだから。

 謝ってもなんの返答もない。無口で怒りっぽいじいさんなのか…そう思った瞬間、いびきが聞こえてきた。寝言だったらしい。それにしても、まるで起きているような、およそ老人とは思えない明確な怒鳴り声だった。
 さらに寝言は続く。「あほか」「ばかやろう!」「何言うとるねん」寝言とは思えないほど明確な罵詈雑言の数々。眠ってまでこれだけの悪口を言うとは…いや、眠っているからこそ、普段は口に出せない乱暴な言葉が出てしまうのか?
 このおじいさんの普段の生活、それ以上に彼の過去を知りたいと思った。たまたま病室で向かいのベッドにいただけの他人の人生に、ここまで興味を抱いたことははじめてである。

 病院とは、実に奥が深い。


# by FunatobeRei | 2021-08-30 16:16 | 身辺雑記 | Comments(0)

回復期病棟雑感

1 ことのはじまり

 リハビリ…リハビリテーション中である。ってことは、リバビリをしなけりゃならないことになっちまったというわけだ。わたし的に。
 忘れもしない5月26日だったっけ? …使い古された手口で、笑いを撮とうとしたのではない。そんなセコいことは、この私のプライドが許さない。当日の記憶が、部分的にほころびているようなのだ。いやマジで。

、確かその日は、月が地表近くで大きく見えるスーパームーンと、皆既月食とが同時に見られる極めて珍しい夜だというので、数日前からテレビのニュース番組などでさんざん周知していた。
 で、夕飯が終わってお風呂に入り、ほっとひと息の午後10時10分頃だったと思う。「折角だから噂の天体ショー、ちょいと見ておこうかと思ったわけだ。前から予定を立てていたわけじゃなく、暇だしせっかくだから…的なノリで、およそ2時間遅れの天体ショー見物。このあたりは曇空だから、残念ながら見えないんじゃないかな…などと思いつつ、サンダルを履いて玄関を出、空を見上げようと門のところに近付いた。
 ところで我が家の門灯は無駄に明るい。長い坂を上りきったカーブの先にあるので、友人のS君曰く「バカなクルマの突っ込み防止にはなるだろう」ということである※。で、その明るすぎる門灯のハレーションを防ぐ為に、掌で視界の半分を覆い隠し、薄ぼんやりとした中空を見上げて、「あーあ、月食もスーパームーンもやっぱり見えなかったな」と、リビングに戻るため回れ右をしようと思ったときであろ。
 回れ右の前に、少し後ろへ下がっておこうと、後退りした。ビール350mmLとチリ産ワイン3口ほどで酔っ払っちまったのかこの俺は…と思う間も無く、足がもつれ、石畳の玄関アプローチの上に、我が身を思いっきり叩きつけてしまったのである。
※ このS君自身、山の中でコースアウトして森林に突っ込んだバカなやつなので、変に説得力はある、

 かなりの衝撃だったはずだが、当時の私には「あ、コケちゃった」程度の記憶しかない。しかし起き上がれない。このまま誰にも気づかれなければ、自宅の玄関前で野垂れ死んでしまう。これはきっとネットニュースで話題になるかも…いや、つかの間の脚光のために我が身を犠牲にしたくはない。助けを呼ばなければ。
 リビングでは妻が録画したテレビドラマを見ているはずだ。リビングまで約8メートル。ドラマに夢中になっている彼女の耳に、8メートルの距離を超え、玄関とリビングのドアという二重の障壁を超えて、生死を賭した私の魂の叫びは届くだろうか。
 『おーい、たすけて~。おーい」玄関がガチゃッ。届いた。案外簡単に届くもんだ。「救急車、呼ぼか?」と、妻の声。「そこまでしなくても…」その時点では、自分ではハードなしりもち程度の認識だった。しかし、立ち上がろうにも脚が動かない。「ひょっとしてやばいかも」巣感じて、かっこ悪いけど救急搬送していただくこととになった。
 ところが、その日から1.5週間、僕は病院のベッドに仰向のまま、標本のように動けない日々を送ることになった。レントゲン検査の結果、僕の大腿骨を受け止めている骨盤は見事に砕け散り、手術には大量の輸血が必要らしい。ところが新型コロナの影響で、輸血の供給が遅れているという。

 やっとこさ手術が始まった。といっても、自分は麻酔で眠っていただけなんだが。大腿骨の周囲から下半身の前後2箇所に切り込みを入れ、金属のプレート5枚をビスで止めるという、サイボーグみたいな大掛かりな手術は、15時間に及んだそうだ。
 コロナの影響で、入院患者は家族と会えない。手術後も、仰向け状態の生活は続いた。孤独な標本生活である。ただ、手術前は上体を30度までしか起こせなかったのが、手術後は60度まで起こせるようになった点が、実にありがたかった。
 なんと、それまでスマホしか操作できなかった自分が、パソコンを扱えるようになったのだ。食事もぽとぽとこぼさなくてよくなったし。
 スマホが使えれば十分でしょ?と、今どきの若者は考えるだろう。ところが今どきのおっさんにとって、パソコンは必須の文具…事務ツールなのである。

 術後の治療と観察で、さらに2週間程度の入院。ただでさえ医療ひっ迫のこのご時世だ。他人だったら「ふざけんな!」と罵声のひとつも投げたいところだが、あいにくご当人様である。
 ほんとにこんなときに、すんません。ということで、次回に続いたりする。

# by FunatobeRei | 2021-08-30 16:12 | 身辺雑記 | Comments(0)